この度、創立80年を迎えました事、誠に喜ばしく、又この日まで私どもを支えて下さりました各方面の関係各位、
そしてOBの諸氏には、心より厚く御礼と感謝を申し上げます。
創業からかぞえますと112年の月日が流れました。山あり、谷あり、一言では
表せない多くの人の歴史が詰まっています。
振り返りますと、明治35年に高田幸治郎氏が個人創業、昭和9年には株式会社となり戦後、石井繁夫氏が社長として高田の復興に尽力され、
私で7代目の代表者となります。
その間、九州小倉と東京に営業所を置き、その後、東京営業所と紙製品部を別法人(東京高田・高田商事)にし、
当時高田グループとして100人を超える陣容になりました。
近年は、それぞれの法人に独立性が強まり、ほとんど資本関係もなく、加えてデジタル化も進み、
非常に少人数で経営しています。
そんな長い歴史の中で、紙業界も大きく様変わりをしてきました。
最近の四半世紀では、メーカー・代理店の再編、デジタル化による需要動向の変化、
少子高齢化による消費経済の縮小等々、我々卸商にとっては、向い風が吹き続けています。
今、紙を売るだけでは生きていけません。
紙の良さを売る提案型セールス、もっと言えば、印刷業へ首を突っ込んだセールス等が求められています。
現在、高田も良き人材を得ることが出来ました。社長のアドバイザーとなる信頼置けるNo2、若い頼もしい営業部長、平均年齢30代の活気あふれる営業・内勤社員が、 主力メンバーです。まだまだ厳しい環境下にありますが、役員・従業員一丸となって、まずは創立100年に向かって、そして未来永劫に高田が発展・繁栄することを願い、 全力で進んでまいります。今後とも、皆様のご指導・ご鞭撻を賜ります様お願い申し上げます。
株式会社 高田
代表取締役社長 村井久容
高田 幸治郎(たかだこうじろう)
明治35年1月 | 高田幸治郎氏個人経営にて高田和洋紙店創業 |
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昭和9年5月 | 資本金10万円で㈱高田洋紙店を設立 |
昭和20年3月 | 空襲により会社全焼 事実上休業状態になる |
昭和20年4月 | 紙販売業は戦時統制により日本紙統制株式会社に 集中一本化され会社は完全休眠状態となる |
昭和21年1月 | 集中排除法により持株会社の従属会所に指定され、 持株会社整理委員会の管理下におかれる その後大同洋紙店より山崎貞次郎、高田純五郎氏が社長として 派遣されるもいずれも短期に終わる |
石井 繁夫(いしいしげお)
昭和22年7月 | 持株会社整理委員会の承認の下に 石井繁夫氏社長に就任 戦後の復興に入る |
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昭和24年3月 | 集中排除法により株式の譲渡計画書 承認せられ非同族会社として再発足 |
昭和24年5月 | 資本金100万円に増資 |
昭和29年4月 | 小倉出張所開設 |
昭和31年7月 | 資本金400万円に増資 |
昭和33年12月 | 本社 新社屋竣工(東区農人橋) |
昭和34年9月 | 東京営業所開設(東京都港区) |
昭和36年3月 | 漏電により出火、本社倉庫全焼 |
昭和37年1月 | 資本金1500万円に増資 |
昭和37年6月 | 創業者・高田幸治郎氏逝去(82歳) |
昭和38年6月 | 資本金2000万円に増資 |
昭和38年7月 | 社名変更「株式会社 高田」と改称 |
昭和39年3月 | 社是・社訓・社歌の制定 |
昭和39年7月 | 石井氏、大阪洋紙同業会・初代会長に就任 |
昭和41年4月 | 東京営業所、新宿区に新社屋建設、移転 |
昭和46年1月 | 資本金3000万円に増資 |
昭和46年4月 | 大阪紙文具流通センター開設 石井氏・初代理事長就任 東大阪営業所開設 同内に製品部及び倉庫を移転 |
昭和47年10月 | 社長 石井繁夫氏 紫綬褒章を受章 製品部を分離し、高田商事株式会社 設立発足 |
昭和49年5月 | 創立40周年 |
昭和50年1月 | 増資を重ね資本金4,800万とする |
昭和50年4月 | 東京営業所を分離 株式会社東京高田を設立 石井氏が社長に就任 |
昭和57年5月 | 石井氏、勲五等双光旭日賞叙勲 6月に五団体共催で祝賀会を開催 |
木ノ下 宗一(きのしたそういち)
昭和58年12月 | 石井繁夫氏 会長に就任 木ノ下宗一氏 株式会社高田代表取締役に就任 塩田藤兵衛氏 株式会社東京高田代表取締役に就任 |
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昭和59年4月 | 株式会社高田本社移転 東大阪長田(大阪紙文具流通センター)へ |
昭和59年5月 | 株式会社高田 創立50周年 |
昭和61年12月 | 石井繁夫氏 相談役に就任 |
昭和62年12月 | 石井繁夫氏 相談役を辞任 |
昭和63年5月 | 木ノ下宗一氏 大阪洋紙同業会第5代理事長に就任 |
塩田 藤兵衛(しおたとうべい)
平成元年4月 | 塩田藤兵衛氏 代表取締役専務に就任 |
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平成2年8月 | 木ノ下宗一氏 代表取締役を辞任 取締役会長に就任 塩田藤兵衛氏 代表取締役社長に就任 |
平成4年3月 | 初めての社員海外研修旅行(香港・マカオ)その後、 3年に1度行われる(台湾・グアム等) |
平成5年8月 | 東京高田の新社屋にて東西合同パーティーを開催 |
平成6年4月 | 資本金9,600万円に増資 |
平成6年8月 | 石井繁夫氏逝去(84歳) 千里会館にて東京高田・高田商事との合同社葬が執り行われる |
平成9年6月 | 第一回東西合同ゴルフコンペ(ホロンC) 従業員持株会発足 |
村井 久容(むらいひさとし)
平成15年12月 | 塩田藤兵衛氏 取締役相談役に就任 村井久容氏 代表取締役社長に就任 |
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平成16年9月 | 広瀬二郎氏国際紙パルプ商事より出向 同12月取締役に就任(4年間電子化に貢献) その後、人員整理も進む |
平成16年12月 | 塩田藤兵衛氏 取締役相談役を辞任 |
平成18年2月 | 村井社長 脳梗塞を患う 3ヶ月で現場復帰 |
平成18年9月 | 塩田藤兵衛氏 最高顧問に就任 |
平成20年7月 | 社員旅行(沖縄本島) |
平成21年9月 | 国際紙パルプ商事より片岡久雄氏出向 同12月取締役に就任 |
平成23年7月 | 社員旅行(北海道) |
平成23年12月 | 塩田藤兵衛氏 最高顧問を辞任 |
平成26年5月 | 創立80周年記念行事として、事務所の改装と社史の作成 新事務所でOBとの昼食会を開催 これを機にOB名簿の作成に入る |
平成26年11月 | 村井社長 大阪洋紙同業会12代理事長に就任 |